何だか頑張るのが疲れたな…そう思っているあなた。その頑張り方を続けていけそうですか?私は、うつ病になって初めて、自分の頑張り方が間違っていたということに気づきました。
頑張ることに自分の価値を見出す人たち
「テストでは90点以上をとらないと…(自分は認めてもらえない)」
「通知表で5をたくさんとらないと…(自分は認めてもらえない)」
「他の人よりも早く仕事を終わらせないと…(自分は認めてもらえない)」
「上司の期待に応えないと…(自分は認めてもらえない)」
これは、私がこれまでの人生で常に感じていたことです。とはいっても、当時の自分にはそんな風に感じているという自覚はありませんでした。
ただただ、「頑張ること=良いこと」だと信じていたのです。
でも、うつ病になってから2年。自分と向き合う時間が多くなり、うつ病になった原因は、昔から潜んでいたんだなと気づき始めました。
高い目標を設定して、学校では常に上位の成績をキープして、親に負担をかけないために授業料が免除される大学を目指し、会社に入ってからはできる社員になるために頑張り続けてきた私。
でも、そこにあったのは達成感ではなく、どれだけ頑張っても消えることのない「飢え」のようなものでした。
私にとって、「できない人」になることほど不安なものはなく、少しでも失敗したら、少しでも期待に沿えなかったら、自分は社会から取り残されるような気分になってしまうのです。
おそらく、私のように「頑張ること」に価値を見出している人は多いのではないでしょうか?
頑張ることは悪いことではありません。でも、目標に対して頑張るのと、私のようにただただ周囲に失望されたくないから頑張るのでは大きく違います。
後者の場合は他者が基準なので、どれだけ頑張っても満たされることなどないのです。成功すれば、周囲からの期待は大きくなり、そのたびにもっと頑張らなければいけなくなる。キリがありません。
「断れない」の負のループ
あなたは「周囲の期待に沿うこと」、「失望させないこと」を気にするあまり、嫌なことまで引き受けていませんか?
自分のことでいっぱいいっぱいなのに、頼まれると引き受けてしまったり、「大丈夫?」と聞かれても「大丈夫です」と答えてしまう。
今にして思えば、ずいぶんと自分の本心を押し殺してきたんだなと思います。おそらく当時の自分は、それが普通で気持ちを押し殺しているという感覚すらなかったのでしょうが…
この「断れない」というのは本当に危険で、周囲は「本人が大丈夫と言っているのだから大丈夫なんだろう」と思うので、いつの間にか本人がキャパオーバーを迎えていることを知ることができません。
だからまた別のことをお願いする。で、また断らないで引き受ける。
この負のループは、断らないかぎりずっと続きます。
そこまでして、なぜ断らないのか?
- 断って相手に嫌われたくない。
- 評価を下げたくない。
- 自分はできる人間だと思われたい。
私が断らない理由は、いつも周囲の目を気にしてのことでした。「大変そうだから手伝おう」とか「今は自分に余裕がないから手伝いたいけど無理だな」といった相手を思ってのことではなく、「自分を良く思わせたい」という不純なもの。
うつ病で休職中に、「無理なことは無理」と言ったほうが相手に迷惑をかけないためには良いことは分かったつもりでした。でも、いざ復帰してみると、やはり自分のキャパ以上に頑張り過ぎてしまうのです。
間違った頑張り方の呪縛
この「間違った頑張り方」は、ちょっとやそっとでは治りません。長年しみついた癖のようなものです。習慣というのは、相当気を付けないと治らない。
復職するまえは、「自分にできる範囲で仕事をすること」「無理なことは断ること」が大事だと自分に言い聞かせていたのですが、実際に職場に身を置いてみると、最初は仕事をセーブすることができたのですが、少しずつ「間違った頑張り方」が顔を出し始めます。
むしろ頼まれてもいないのに、「これやりましょうか?」「あれ、やっといたほうが良いですよね?」と自分から動いてしまうのです。だんだんと、仕事量は増え、またいつものループの中にいました。
働くことから逃げてみた
またもや「間違った頑張り方」のループにはまってしまった私は、せっかく復職を果たしたのに、うつ病の症状を悪化させてしまうことになります。
それでも、以前よりは「無理なときは休む」ことを意識し、調子が悪いときは仕事をお休みしていました。でも、結局休んだ翌日は「休んだ分を取り戻さなきゃ…、もっと成果をださなきゃ…」と焦って頑張り過ぎ、また体調を崩すという繰り返し。
そうこうしているうちに、ベッドから起き上がれなくなり、治ったはずの「急に涙が流れる」という症状まで出始め、家から出られなくなってしまいました。
そして、旦那と相談して私は会社を辞めたのです。
そう、私は仕事から逃げました。
プロジェクトの途中で辞めてしまい、たくさんの人に迷惑をかける結果になってしまい、自分の責任を放棄した私はきっと「無責任すぎる」と思われ、実際そんな風に言われていたのかもしれません。
辞めてからしばらくの間は、職場の人にどう思われているのか気にして落ち込み、自分を責め、家から出られず鬱々としていました。
でも、いつの間にか心にのしかかっていたものが消えていたのです。
「うつ病で長期間休んだのだから、その分を取り戻さなければいけない」
「復職してすぐに、また休職なんてできない」
「病気が理由で配慮してもらってるんだから、やれることをやらなきゃ」
仕事を辞めた私は、職場から離れてみてやっと、復職してからもそんな思いにとらわれていたことに気づきました。
私がしたことは、到底褒められたことではなく、とても無責任な行動です。でも、「仕事を辞める」ということは、私にとって誰かの目を気にした行動ではなく、自分のためにとった行動でした。
「できない」ではなく「やらない」
私の間違った頑張り方の根源には「できない」=「ダメな人間」という考えがあります。本当ならできない自分を認められるようになると一番いいのでしょうが、長年私の心に根付いてきた感情は、そう簡単になくなりません。
だから、まずは「できない」を「やらない」に変えるようにしています。
- 今日は体調が悪いから洗濯できない→やらない
- うつ気分でママ友の会話に入れない→今は話す気分じゃないから話さない
- 頭痛が酷くて子どもを公園に連れていけない→家の中で遊ぶからいいや
○○できない…と考えてしまうと、一気に落ち込みモードになってしまい、自分を責めることになってしまうので、今は「今日はやらない」と決めたり、代案を考えたりといった工夫をしています。
それで誰かに嫌われたり、ダメな母親だと思われたとしても、私が自分を一番に考えて決めたことだからいいのです。そもそも、誰にどう思われているかなんて本心は分からないのですから。
周囲の目というのは亡霊のようなものです。
亡霊を喜ばせるための頑張り方ではなく、現実世界の「自分」を喜ばせる頑張り方をしていきましょう。